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プルシェンコ選手の母・タチアナさんの愛情溢れる過去インタビュー

   

 

 

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ご存知の方はご存知のことだと思われますが、本日、プルシェンコ選手のお母様、タチアナ・プルシェンコさんが逝去されたことが明らかになりました(プルシェンコ選手は10日に母国ロシアに緊急帰国されており、アオーレ長岡のショーは欠場ということになりました)。

プルシェンコ選手のお母様と言えば、貧しい経済状況だったにもかかわらず、当時虚弱体質だった彼のことを考えて温暖な地域に移住することを決断したというエピソードがあるなど、息子愛の溢れる方だったということで知られていますが、

今回取り上げさせていただく、タチアナさんの過去インタビューは、如何に息子のプルシェンコ選手を愛し、誇りに思っていたのかということがありありとわかる内容になっていましたので、みなさんにご紹介させていただこうと思います。

 

 

 

✔プルシェンコ選手の母・タチアナさんの愛情溢れる過去インタビュー

 

今回ご紹介するのはこちらです。

母・タチアナさんが語る息子・エフゲニー選手というテーマで行われたロング・インタビューなのですが、

先述した通り、逝去されたタチアナさんは、本当に母親の鑑のような人物であり、偉大な方だったということに気づかせてくれるような、質問への答えが随所に見られましたので、今回はその中のいくつかをピックアップしていこうと思います。

↓↓↓↓

 

厳しく育てたのですか?

いいえ。叱るようなことは何もありませんでしたから。勉強もよくしました。例えば、5年生の時はオール5の成績でした。実を言うと、勉強する時間は全然なかったんです。スボーツの方にたくさん時間を取られていましたから。6歳の時から、試合に出始めたんですよ。私と一緒ではなく、コーチと一緒に行っていました。

これはタチアナさんが当時の敎育方針に対して言及した回答です。プルシェンコ選手は勉強を強制されることなく、自分から進んで勉強をしていたということですが、タチアナさんが、息子がオール5の成績をとった時のことをしっかりと覚えているというところに、とても愛情を感じます。インタビューをした時は、すでに当時から10数年経っており、普通なら忘れている頃だと思います。

 

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(これは幼少期のプルシェンコ選手)

 

ジェーニャがペテルブルグに移り、あなたがヴォルゴグラードに残っていた時、 色々なことがあったのでしょうね…。

私は行かせたくなかったのです。夫も私も、有名なコーチにつくために子供を別 の町にやることを、特に考えていたわけではありません。あの子がスケートをす るのはいいことです。私達はそれ以上のことは考えていませんでした。でも、ヴ ォルゴグラードのリンクが閉鎖されたのです。それが問題でした。そして、当時 のコーチ、ミハエル・マコヴィーエフが、ペテルブルグ行きを提案したのです。 今になっても、どうして自分が息子を行かせたのか、理解できません。実際、私 達はあきらめるよう説得しました。ホッケーかサッカーに変わらないかと言って 。でも息子は言い続けました「行きたい」。だから行ったんです。半年間、私と 離れてたった一人で。

この「ヴォルゴグラードのリンク」とは、当時地元に存在した唯一のスケートリンクだったのですが、しかし、この時丁度ソ連崩壊が目の前に迫っていた時期でしたので、その煽りの影響で閉鎖されたそうです。そのため、当時の時点で才能を開花させていたプルシェンコ選手の元に、特別強化のため移住することを打診してくる大人が訪れるようになったということですが、インタビューの通り、タチアナさん含むご両親は心配のあまり、手放したくないという気持ちが強かったようです。しかし、最終的にはプルシェンコ選手の強い意志を見て大丈夫だと判断し、実際に行かせていますので、つまり彼を手放したくないという気持ちは、個人的な感情ではなく、全ては彼のことを第一に思っての判断だったということでしょう。

 

 

その時、一番大変だったことは何ですか?

経済状態でした。働いているのは夫だけなのに、私達は2つの街で暮らしていた のです。ヴォルゴグラードのアパートのお金を払わなければいけないし、ここで は200ルーブルで部屋を借りていました…その時ジェーニャは何ももらってい ませんでした。リンゴが1つあると、それを2つに割って、息子に言いました。 「この半分は今日食べて、こっちは…明日」。練習していた「ユビレイニー」で は、時々食事のクーボンがもらえましたが、もらえないこともありました。でも 、あの子は要求するような性格じゃありません。「なんとかする…」と言ってい ました。今でも、好みはうるさくありません。もちろん好きな食べ物はあります 、私のペリメニが好きですが、何も特別なものがなくても大丈夫なんです。

(その後、タチアナさんはプルシェンコ選手と一緒に住むことになったことを踏まえて)やはり、大きな問題は経済だったようですね。そもそもタチアナさんと父ヴィクトルさんは、鉄道の建設労働員として生計を建てられていたようで、プルシェンコ選手が生まれた時は、いわゆるトレーラーハウスで生活していたそうです。ロシアでは、日本ほどフィギュアスケートの費用がかからないとは言われていますが、インタビュー内の食事の状況から察するに本当に極限状態だったことでしょう。そんな状況でも頑張っていたプルシェンコ選手、そしてそれを支えていたタチアナさんと父ヴィクトルさんの精神力には脱帽ですね・・。

 

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ちなみにこういうの↑がトレーラーハウスです。実は現代のアメリカ・ロシアにもまだまだ存在するのですが、幸せなこととして、日本ではほとんど目にすることがありませんので、なかなかイメージが付きませんよね。日本って、なんだかんだで裕福です。

 

 

 

ジェーニャが12歳の時、あなたにコートを買ったというのは本当ですか?

ええ。ジェーニャは連盟から食費として、お金の支給を受けていました。それを 半年間受取らずに、貯めていました。そして、一度に相当な金額を受け取ったの です。ヴォルゴグラードの私達のところに来た時、お金を私に手渡して言いまし た「ほら、ママ、自分のコートを買って」。とても嬉しかったです。そもそもジ ェーニャはプレゼントをあげるのが好きで、あげ方を心得ているんです。

ジェーニャは家族全員が一緒にいられることを夢見ていました。姉にマンション を買い、娘も家族と一緒に去年の夏にペテルブルグに引っ越してきました。ジェ ーニャは、私達みんながついに一緒になれた時、とても喜んでいました!

これは・・・他人ながら泣けますね・・・。プルシェンコ選手と言えばテレビ番組やショーを見る限り、とても人を感動させることが好きな方だと思っていたのですが、どうやら12歳の時に既に人を感動させるための心得を習得していたようですね。普通、それまでほとんどお金を貰うことがなかったという前提があれば、貰えるようになれば多少は自分のためにお金を使っちゃうだろうと思いますが、しかしプルシェンコ選手は母を感動させるためにお金を貯めていたということですので、プルシェンコ選手のタチアナさんに対する愛情が見て取れます。

 

最後に紹介するのはこちらです。

ジェーニャが家族について語る時は、どのインタビューでもとても暖かく語って いますね。

ええ、ジェーニャは私達を愛し、心配し、気遣ってくれています。私の健康をと ても心配しています。私がギリギリまで我慢する性質で、もし昼間っから横にな っているとしたら、本当に病気だということを知っているのです。そういう時は 、どこかへ出かけるつもりだったとしても、出かけるのをやめようとします。私 達はとても近しいのです。まるで一心同体みたいに…。

最後の言葉、「まるで一心同体みたいに・・」というのが、プルシェンコ選手とタチアナさんの関係性の全てを物語っていると思います。そう、二人は一心同体という関係性であり、お互いのことを愛し、気遣い、そして応援していたのです。この度のタチアナさんの逝去は、間違いなくプルシェンコ選手にとって大きな消失だったことでしょう。そして、タチアナさんは、きっともっと長くプルシェンコ選手の活躍を見たいと願っていたことでしょう。ただのファンである自分が想像するだけで、胸が張り裂けそうになるのですからプルシェンコ選手の胸中は計り知れません。

 

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彼がこの一件を受けて、一体どのような行動に移るのかはわかりませんし、また気にはなりますが、今は波風を立たせずにそっとしてあげた方が良いことは間違いないでしょう。


 

 


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 - ◯フィギュアスケート, エフゲニー・プルシェンコ

        
たつまに
男でフィギュアスケートにハマってしまった学生。羽生結弦選手は、人間としてもスポーツマンとしても、尊敬している人物です。。twitterもしていますので、フォローしていただけると嬉しいです↓↓

Comment

  1. いくよ より:

    金沢で初めて観たプルシェンコさんの演技に感動しました。
    リンクの端っこの席だった私たちの目の前で演技してくださったこと、
    強烈に目に焼き付いています。
    お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

    • たつまに たつまに より:

      返信がとても遅れてしまいました汗

      プルシェンコ選手は演技している最中に緊張感の漂う「皇帝」の姿と、そして、ファンを楽しませる「スター」の姿を見せてくれますよね。
      僕は特に、そんなプルシェンコ選手の「スター」の部分が大好きなので、いくよさんが演技に感動したのも大変共感できます♪

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